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主催事業情報 2022/1/13 【インタビュー】華雪 (書家) ー 展覧会「ミヤケマイ×華雪 かたちのことば ことばのかたち」

ギャラリーで開催中の展覧会「ミヤケマイ×華雪 かたちのことば ことばのかたち」

書家・華雪さんに、自身のルーツや書に対する思い、展示作品について話を聞きました。

 

華雪 木 2021 ⒸKABO

 

漢字一文字の書を仕上げる過程は、絵を描くよりも面白かった

 

──書を始めたきっかけを教えて下さい。

 

華雪 左利きの妹のつきそいで書道教室に行くと、「お姉ちゃんも書いてみたら」と先生から声をかけてもらいました。それがまりなんです。

 

ーもちろん今の作品のような書ではなく、いわゆる「お習字」ですよね?

 

華雪 先生は、子どもたちに単なるお習字ではなくて、のびのびした書の教育を目指そうとする江口草玄が発行していた、雑誌の『ひびき』を手本に取り入れていました。その誌上課題を使った課題が終わると、たとえば「今週楽しかったことを一言で書いてみよう」だったり、「絵本の中のことばを好きな筆記用具で書いてみよう」と、今思えば、〈ことばを書く楽しみ〉を伝えようとしてくれていたんです。そうすると、たとえば友達が「宝石」と突然書き始めたりして、「お母さんが指輪を買ってた!」ってうんです。私はそんな生活と地続きのことばを書くことも、書いている友達を観察するのも好きでした。

 

でも中学校に入る頃、教室に通うのが私だけになったんです。すると先生が、せっかくマンツーマンになったのだからと、大学の書道科で教わるような中国の書道史や臨書(模写)を教えてくださる時間になっていきました。

 

──白川静先生の研究との出会いもその書道教室ですか?

 

華雪 振り返ると、先生は私が学校で習った漢字について話すとき、白川静さんの字典に則って話をしてくれていたんです。「『月』を習ったよ」とうと、「『月』の象形文字は三日月だけど、字の意味としては満月も新月も表すよね」とか。そんな字の成り立ちを教わる時間がすごく面白かったんです。

 

十歳頃から作品づくりとして漢字一文字を大きく書くようになりました。「どうしてその字を書きたいの」という先生とのやりとりを繰り返し、白川さんの字典で字の成り立ちを調べ、子どもなりに「この字はこういう成り立ちだから、こう書きたい」と説明して、字を書く。その体験が自分にはしっくりきたんです。字の意味や成り立ちを見立てて、墨で書かれた部分と余白をどうかたちにしていくのかといったことを考えながら漢字一字の書を仕上げる過程は、絵を描くよりも想像力をかき立てられて面白いと気づき始めたんです。

 

 

華雪

 

 

 

「女の子が書家なんて、あかん」と言われた。「絶対に書家になりたい」

 

──作家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

 

華雪 高校生のときに初めて展示をさせてもらいました。その頃には「何かつくりたい」という意識が芽生えていました。ただ、先生は大賛成というわけではなかったんですね。「あなたは私のところにいても作家にはなれない、なぜなら私が作家ではないから。そして女性だから」と伝えられました。先生は自分の来し方のことをあまり語らない人だったんですけれど、あとから聞いた話では、若い頃に森田子龍と出会い、森田や井上有一らが当時結成していた墨人会のワークショップに参加したりしていて、きっと作家になりたかった時期があったと思うんです。「男性の著名な先生のところへ行けば可能性が開けるかもしれない」と言われたのですが、その方法をとりたくないと直感的に思った自分がいました。

 

日本画の先生に絵も習っていたのですが、「女の子が書家なんて、あかん」と言われたり。絵の先生の知り合いだという画家の方から突然電話があって、「ポッと出の女の子が書家になろうとするんなら、偉い先生に身体でも売らないと無理だから覚悟しろ」とも言われました。電話口で泣いている私の横にいた母から「それでやめるんやったらそれまでじゃない?」と言われたときに、「絶対に書家になりたい」と思ったのを、はっきり覚えています。

 

華雪 滞在制作 撮影:KABO

 

 

 

「話す」と「放す」は同じ音。ことばにならない思いが、字のかたちを借りて、話し、放されていく

 

ーコロナ(COVID-19)の問題を機に「立ち止まって考える」ことの大切さを強く感じています。本展の趣旨も、華雪さんのこれまでの活動のあり方とその考えが重なるように思います。 

 

華雪 これまで「どういうことをしているんですか」と様々な状況で問われてきましたし、自問自答も繰り返してきました。問いに対して、うまくはすぐに答えられないことばかりです。だからこそ、その度に立ち止まって考えざるを得なかったとも思っています。

 

ありがたいことに非常に幅広い場――身体的、精神的、あるいは社会的な障がいを抱える人たちとの場であったり、子ども達とワークショップを行う機会をいただいてきたことで、私は書をどういうものだと思っているのか、書を通じてどういうことができるのかと度々考える機会を与えられてきたと思っています。

 

その最たる場は、3・112011年の東日本大震災)直後のワークショップでした。

 

京都にいる知り合いから一字書のワークショップをしてくれないかと言われたんです。「私たちは地震の揺れを理解することさえできていないのに、何が起こったかだけはメディアを通じて知っている状況に、すごく戸惑っていて。今、私たちの戸惑いを声に出せる場をつくってほしい」と。とても「楽しく字を書きましょう」という状況ではありませんでしたから、彼、彼女たちのことばにならないものが、字のかたちを借りて、何かを結べばいい。そんな思いで立ち会おうと決めました。

 

最初は「何かを受け止めなければ」と思って一所懸命メモを取ったりしていたのですが、ある瞬間、「話す」が「放す」と同じ音だと気がついたんです。「みんな話したいだけなのかもしれない」と思ったら、私はただ紙を広げて、「話しましょう」と言うだけでいいと腑に落ちたんです。様々な状況に置かれた人たちが、同じ字を繰り返し書きながら、自問自答をすることで、それまでことばにならなかったことが、字のかたちを借りて、ことばになって話し、放されてゆく様子を目の当たりにしました。この気づきは、長いこと立ち止まったり、振り返ったり、うずくまったりを繰り返しながら書に携わってきた私が、自分なりに得た答えの一つだと思っています。

 

 

 

コロナという得体の知れない存在と共存する時代に、「畏怖」の象徴「木」と「森」を書く

 

華雪 木 2021 ⒸKABO

 

ー今回の展示作品について伺います。なぜ、これらの字を選ばれたのですか?

 

華雪 お話を受けたときに自分のことを改めて振り返ってみて、長くつきあってきた字を示すしかないと思いました。

 

「木」は、ワークショップで長くつきあってきた字です。ワークショップには小さなお子さんが来てくれる場も多いので、成り立ちがわかりやすい字がいい。そして知らない人がいないものがいいと考えると、「木」が最適でした。それと、大学で心理学を学んでいた頃、「バウムテスト」が印象的だったんです。今でこそ批判もある心理テストですが、自分のワークショップでたくさんの方が「木」を書かれることで、「木を描く」ことに代わる発見もあるかもしれないと考えました。

 

また展示のお話をいただいたとき、コロナがまだ未知の状況で、自分の中にもよくわからない怯えがありました。あるとき、こういうものを「畏怖」と捉えた人たちがいたのではないかと思い至ったんです。漢字がつくられた古代の世界観において「畏怖」の感覚は大きな位置を占めています。それをわかりやすく物語る字の一つが「木」、そして「森」だと捉えています。古代において、森は「畏怖」の場の一つと考えられていました。一方で木は人にとって親しいものでした。木が集まると森になり、森が「畏怖」の象徴として捉えられていた感覚を、今、コロナという得体の知れない存在と共存する時代に「木」、それから「森」を書くことで、改めて人にとっての「畏怖」とは何かを捉え直すきっかけとして、今回の作品群をつくってみたいと思ったんです。

 

 

 

「花」と繰り返し向き合い意識した、漢字の有り様の面白さ

 

華雪 花 2016 ⒸKABO

 

華雪 「花」は、これまでたくさん書いてきました。つまり、それだけ繰り返し向き合ってきたと思える字です。また、字のかたちが象形文字から大きく変化してきた字の一つでもあります。

 

花そのもののかたちを象った字は「華」です。そして「花」は「華」が簡略化され、つくられた字です。だから「花」の字には象形文字はありません。でも、ないはずの「花」の象形文字を語る「草が化ける」という俗説が古くから伝わっています。若い頃はこの俗説が嫌でした。けれど、震災後のワークショップで話をするうち、今を生きる多くのにとって身近なのは〈草が化ける〉という俗説とともに存在している「花」であって、それはそれで意味があるのかもしれないと思うようになりました。

 

歴史上、一つのルーツから発生し、現存している文字体系は漢字だけだと言われています。その理由は諸説ありますが、こうした意味やかたちの移ろいさえ許す体系のしたたかさに依るところもあるかもしれないと思って、漢字の有り様の面白さを改めて意識しています。そして実際に「花」の字を書いていると、花びらのようだなと思ったりする自分がいるんです。

 

 

 

字をつくった古代の誰かの気分をわかりたくて、この夏毎日絵を描いた「雲」

 

華雪 みえないものたち ―「气」雲の流れる様子を書く 2021 ⒸKABO

 

華雪 そして、雲の流れる様子を成り立ちとする「气」の字は、象形文字では横三本線として象られていて、以前から気になっていました。そもそも字の成り立ちに興味を持ったきっかけは、小さい頃に「これは古い時代を生きた誰かがつくったんや」という気づきでした。誰かの目が何かを捉えた結果が、字のかたちに刻まれ、広まり、残ってきた。そう思ってきたんです。

 

この夏、熱海のアーティスト・イン・レジデンスに参加したときに「その日の雲を毎日絵で描いてみたら、字をつくった古代の誰かの気分がわかるかもしれない」と考えて、空のよく見える部屋の窓から見た雲を毎日描いていました。ある日ふと目線を上げると、「あっ、上の方の空にも雲がある!」と当たり前のことに気がついたんです。「見たいところだけしか見てないんやな、人って……」。

 

字をつくった誰かも、彼らが見た何かを、主観的に絵に描いて、少しずつ字のかたちへと収斂させていったのかもしれない。そんな想像が湧いてきました。熱海に滞在する度に毎日描いた雲を、私はどう三本線にまとめ、字のかたちにするんだろうという思いから始まったのが「气」のシリーズです。

 

 

 

生きる上でそれぞれの人にとっての豊かさを問う「ことばのかたち かたちのことば」

 

華雪 今回の「ことばのかたち かたちのことば」という展覧会のタイトルを聞いたとき、小さい頃、書の先生に「字のかたちを書くんじゃないのよ。かたちの奥にあることばを書くのよ」と繰り返し言われたことを思い出しました。子ども心にわかったようなわからないような気持ちで聞いていましたけれど、どうしてそのかたちを書きたいのか、とことん考えなさいと言われているのだと理解してきました。

 

例えば、心は抽象的なもので、気持ちも目には見えない。でも、心ということば、そして気持ちということばは存在していて、「心」という字もある。かたちがあると思っているものに本当にかたちがあるのか。かたちがないと思っているものに本当にかたちがないのか。かたちが求めることば、あるいは、ことばが求めるかたち、その行き来と、そこからこぼれ落ちるもの。こうして立ち止まって考えてみることが、想像する力を育み、人生を豊かにするのではないかと思っています。

 

先生から「人生を豊かにするために書をやるのよ」と、よく言われてきました。そのとき必ず「人生を豊かにするものが、書じゃなくてもいいのよ」とも言われました。最近になってこのことばの意味を改めて噛みしめています。この展覧会のタイトル「ことばのかたち かたちのことば」も、生きる上でそれぞれの人にとっての豊かさを問いかけることばのように受け取っています。そのことばに作品を通じて応答できたのか、できているのか。今も考えています。

 

華雪

 

華雪 Kasetsu

 

書家

1975年、京都府生まれ。幼い頃に漢文学者・白川静の漢字字典に触れたことで漢字のなりたちや意味に興味を持ち、文字の成り立ちを綿密にリサーチし、現代の事象との交錯を漢字一文字として表現する作品づくりに取り組むほか、文字を使った表現の可能性を探ることを主題に、国内外でワークショップを開催。刊行物に『ATO跡』(between the books)、『書の棲処』(赤々舎)など。『コレクション 戦争×文学』(集英社)をはじめ書籍の題字なども多く手掛ける。

Instagram kasetsu_sho

 


神奈川県民ホール2021年度企画展

ミヤケマイ×華雪

ことばのかたち かたちのことば

Mai Miyake × Kasetsu Exhibition:The Shapes of Words,The Words of Shapes

会場:神奈川県民ホールギャラリー  
会期:2021年12月20日(月)~2022年1月29日(土)
時間:10:00-18:00(入場は17:30まで)
休場:毎週木曜日

 

 

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