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主催事業情報 2022/1/13 【インタビュー】ミヤケマイ (美術家) ー 展覧会「ミヤケマイ×華雪 かたちのことば ことばのかたち」
ギャラリーで開催中の展覧会「ミヤケマイ×華雪 かたちのことば ことばのかたち」。
美術家・ミヤケマイさんに、創作に対する思いや、新作インスタレーションについて話を聞きました。
|全てのものには固有の声があり、それでしか表現できないものがある
ーご出身が横浜の山手、県民ホールのすぐお近くなんですね。どんな幼少期を過ごされたのでしょうか?
ミヤケ この辺りは、子供の頃から馴染みのあるところです。県民ホールも、クラシックバレエの公演やコンサートなど、家族と一緒によく来ていました。中華街や三渓園、本牧の米軍基地に自転車やスケートボードで遊びに行ったり、夏は元町プールで泳いだ後に「デイリークイーン」や「ウェンディーズ」で無駄なカロリーを詰め込み、夜は「バーバーバー」や「ウィンドジャマー」でジャズを聴いていました。念の為ですが、お酒は飲んでいません(笑)。
ー作品を作る際のアイディアの原点はなんですか?
ミヤケ 日本では、岡倉天心以降、メディウムによってジャンルを分けることが多いです。例えば油絵の具を使っていたら油画、顔料を使っていたら日本画、石を使っていたら石彫、という風に。私はそういう考えになかなか馴染めません。私の場合は、素材ありきではなくて、今自分は何を表現したいのか、何を伝えたい、作りたいと思っているかを主軸として制作をしています。「油で描きたいから、油で描けるものを描く」のではなく、「表現したいものをどうやって表現するか」というところから、素材を決めていきます。ある作品のためにどんなイメージ、物質がいいのか考えます。
全てのものには固有の声があり、それでしか表現できないものがあります。作曲家がある曲を表現するのに、楽器を選ぶ行為に似ていると思います。本来、何ができるかも重要なのですが、何を表現したいの方が重要に思うのです。結果として、素材も多種多様なものになっていってしまい、いつもスクラップアンドビルド状態です。
ーミヤケさんにとって素材の選び方がとても重要なのだと思うのですが、素材の声を聞くのがお上手だと、いつも思います。
ミヤケ ものに限らず人でも場所でも、個々に固有の声とか癖とかオーラをみんなが持ち合わせています。そういったものを選ぶのが得意というよりは、ただ単に観察、眺めている時間が人より多いだけのような気がします。あまり人の評判や判断を信じていないので、自分で丁寧に細かく見る、検証する癖がついています。私の場合、見ることと考えることが同じことなのです。
|サイトスペシフィック=そこでしか成立しないものをつくる、ということ
ーサイトスペシフィックな取り組みについてもお伺いしたいです。
ミヤケ 私の作品の根底には日本の美意識があり、日本美術は空間から切り離れて成立し得ないと考えています。それは室内のみならず、野外に置かれる作品だとしても、森や石、土、あるいは借景になるような自然など、そこに先住しているものに対する敬意、畏怖の念というか、そういうものをきちんと持って置かれていると思います。
自分と作品が存在する場の声を聞き、その中で自分がいかに悪目立ちせず、周りを破壊せずに自分の結界を作っていくか、自分が入ることによって、外の世界と自分の世界両方に、何か好ましい変化が起きるというのがよいバランスで、作品が空間を内包しているとも、空間が作品を内包しているとも、お互いバランスをとって補完し合っているとも言える状態。それを西洋美術の言葉で探すとおそらくサイトスペシフィック=そこでしか成立しないものをつくる、ということになるような気がします。
作家として作品を発表の機会をいただけるということは、社会発言できる作家としての声をもらっているという気がします。その声をどう何のために使うのかは毎回考えます。作家は基本的に、自分の作りたいものを作っているのですが、相手が聞きたくないものをどんなに押し付けたところで、人は見ないし、聞かない。そうではなく、自分の伝えたいことと、鑑賞する側との接点がどこにあるのかを見極めるといった行為と同様、場所を読み込み逆らわない、自分の作品と場所の接点を探す、というのがサイトスペシフィックな作品においては重要なのではないかと思います。
|コロナから強くイメージしたのは「ノアの方舟」
ー今回、吹き抜けの広い展示室での作品に舟を使おうと思った理由をおしえてください。
ミヤケ 横浜が港町であること。横浜は、神戸、長崎と同様、歴史的に日本でも特殊な港町だと思います。常に誰か出ていき誰か入ってくる、自分と違う価値観や習慣を日常的に融合したり、それらと対峙したりする土地の人々は、何を取り入れて何を取り入れないのか、どこに接点を作ったらうまく共存できるのか、というようなことを見つけるのに慣れている気がします。この港町、多国籍文化の中の、多様性の狭間で、自分の居場所や位置を見いだしながら育ってきたことは、今の仕事にも役立っています。
21世紀は人類大移動の世紀だと思います、誰も彼もがこれだけ移動することはなかったし、物理的な移動だけではなく、良くも悪くもネットで誰とでも瞬時に繋がれる時代です。地球温暖化や、自然が形を変えることによって、情勢、政も変わり、移民問題も、島国の日本ですら避けて通れないところまで来ています。人類の歴史上で何度か、疫病が流行って世界中に蔓延し、人口が激減したことがありました。その時代に私たちも当たったわけで、人類が強制的にやり直しをさせられるリセットボタンが押されたような感覚があります。コロナから私が強くイメージしたのは「ノアの方舟」です。それら3つの船の要素は漢詩の呉越同舟を連想させるのでした。
私の作品について「寓話性、物語性の要素」を指摘されることが多いのですが、私の中では、リアリティこそがファンタジーというか、まさにコロナ禍もそうですが、「現実は小説より奇なり」というのは本当だと思っています。「現実VSファンタジー」ではなく、ファンタジーは現実の中に内包されている。現実こそがファンタジーで、ファンタジーこそが現実である、というのが私の中の真実なので、記憶や過去や身体を持ちながら神話や寓話の世界に紛れ込んでいるのが、私の感じている世界なのです。
|美術品に封じられた「水」は、過去の記録装置
ーもう一つのテーマ、「水」はいかがですか?
ミヤケ 日本は「瑞穂の国」で、日本文化も水と密接に関わっていると思います。個人的にも、墨や水彩やアクリル、鉛筆、パステルなど、いろいろな画材を使うのですが、油をメディウムに使ったものをあまり好まない傾向があります。思うに日本人は根本的に、水溶性のものが好きなのではないでしょうか。ベタベタして、油や洗剤を使わないと洗い流せないものよりも、水で流せばすっかりリセットされて綺麗になる感覚が私は好きな気がします。
私の中の70%を占める水分が常に外にある水を呼ぶようで、作品は何かと水に関係あるものが多く、淡水のみならず子供の頃から海の見えるところで育ったこともあり、水の匂いを嗅ぐと生き返るような気持ちになります。アトリエを滋賀に移した理由も海のような琵琶湖に惹かれたからだと思います。
私たちの体の中の水は、汗になったり排泄物になったりしてすぐに出ていってしまい、無くなります。水は淀むと菌が入って腐ってしまいますが、美術品に封じることで永遠にそのときの水が温存され、当時の情報をタイムカプセル的に伝える化石のような、過去の記録装置になるのが興味深いです。
ー循環から切り離された水、ということですね。今の状態を伝える、定まった形を持たない装置としての水と、「ことば」というものが呼応しているように感じました。
|水も言葉も変化するもの。どちらもフレキシブルに環境に適応していく
ー「ことばのかたち かたちのことば」というタイトルにたいするイメージを伺ってみたいです。
ミヤケ 4冊目の画集『蝙蝠』に椿昇さんが寄稿してくださったのですが、そこに、私の作品から思い浮かべるものとして「かたちのことば ことばのかたち」という世阿弥の言葉を引用してくださいました。水も言葉も非常に変化するものです。水は氷にも蒸気にも液体にもなりますし、同じ言葉でも、愛情のある言い方、憎しみのこもった、あるいは無関心な言い方では、全然受け取り方が違うという風に、環境が変わると非常に言語も変化するものです。どちらも、フレキシブルに環境適応していくものなのだと思います。
私は、言葉は生き物だと思っています。ダーウィン的にいうと、強い言葉や美しい言葉が残るのではなく、環境に適応した言葉が残っていく、という意味では水と言葉は似ているような気がします。環境に対応する力というのは、まさにコロナ禍のような状況で、適者適存が今以上に重要になっていくような気がします。そのために何が必要か、みんなが考えている時代だと思います。そして淘汰されて無くなっていくものも沢山出てくると思います。
環境に対応するためには、物事をきちんと見ることが必要だと私は考えています。理解するということは、まず見ること、観察すること。インプットが間違っていたら絶対にアウトプットも間違えるし、アウトプットが間違っていれば伝わらないので、インプットをどれだけ丁寧にやるのかがすごく重要なことだと思いますが、年々、自分も含め人々のインプットが雑になっているように感じることがあります。本物を見ないで聞きかじって、わかったような気になってしまう。相手の立場に立って考えたり、観察したり、書いてあることが本当に正しいのかきちんと見極めたり検証する時間もなくなっています。
活字が主な媒体だったときは、識字率が高くなかったので、騙されるのは少数で、その他大勢の人たちには時間をかけて定点観測をする時間がたくさんあったような気がします。その当時の世界は狭く、アラブ諸国やフランスでいま何が起こっているのかも知る必要がないし、半径50メートルの中を丁寧に見て生きていた。そしてテレビが登場して、今まで会ったこともしゃべったことも、付き合ったこともない人の発言を信じて支持し、いまはネットを介してもはや、実在するかどうかも怪しい人の言うことを信じて、何かを買ったり、どこかへ行ったり、人のことを評価したりする。これは、どんどん観察の画素数が下がっているのではないかと思います。そして画素数が下がれば下がるほど伝達のスピードは速くなるのが常で、悪貨は良貨を駆逐する、これはすごく恐ろしい予感がします。
|「想い」を「言葉」にするために、一番重要なのは「見る」こと
ミヤケ なんの先入観もなく物事を見る、観察することが、実は美術の根幹にあると思います。それに対して自分がどう感じるのか、どう思うのか、どんな言葉になって自分から出てくるのかが大切なのです。誰かの言ったような、それっぽいことを言えばなんとなく形がついていくような社会が、実は美術の息の根を止めていくのだと思います。丁寧にものを見て、感じて、自分で処理する。それに適応する言葉が見つからなくても、時間をかけて、体験に伴った言葉を探すために本を読んだり、映画を見たり、人と討論したりする。今は順番が逆になり、膨大な情報量と小さな体験。インプットとアウトプットのバランスの、座りが悪いような気がします。
言葉になる前の「想い」がどのように形成されてどのように出口を見つけていくかにおいて、一番重要なのは「見る」ことです。私の場合は視覚から80%以上の情報を取っていて、「見る」ことが人間としての土台にも、作家としての土台にもなっています。私の言っている「見る」というのは、必ずしも目で見ることではありません。聴覚から情報の多くを取っている人もいれば、嗅覚からほとんどを認識する人もいる。外の世界と自分を結びつける、認知する、という意味では、これらも広意の「見る」という行為だと思います。今回は「見る」ことを注視した作品です。人にはどれだけ死角が多いか、自分の思い込みや好みのせいで、見落としていたり見ないようにしたりしている部分がどれだけ大きいか、いつも不思議に思っています。今回は、「見る」ということについて、あらためて考える機会をいただきました。
ミヤケマイ Mai Miyake
美術家
日本の伝統的な美術や工芸の繊細さや奥深さに独自の視点を加え、 過去・現在・未来をシームレスにつなげながら、 物事の本質や表現の普遍性を問う作品を制作。媒体を問わない表現方法を用いて骨董・工芸・現代美術・デザイン、文芸など、既存の狭苦しい区分を飛び越え、 日本美術の文脈を独自の解釈と視点で伝統と革新の間を天衣無縫に往還。展覧会、ワークショップなど多数。「蝙蝠」(2017年)など4冊の作品集がある。京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)特任教授。
神奈川県民ホール2021年度企画展
Mai Miyake × Kasetsu Exhibition:The Shapes of Words,The Words of Shapes
会場:神奈川県民ホールギャラリー
会期:2021年12月20日(月)~2022年1月29日(土)
時間:10:00-18:00(入場は17:30まで)
休場:毎週木曜日