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主催事業情報 2021/10/20 【インタビュー】山本裕之 (作曲家) -「C×C(シー・バイ・シー) 山本裕之×武満徹」監修
「C×C (シー・バイ・シー) 作曲家が作曲家を訪ねる旅 山本裕之×武満徹」の監修を務める作曲家で、これまでにない新しい音を追求する鬼才・山本裕之。11月6日に迫る本番を前に、自身が対峙する没後25年の作曲家・武満徹への思いから、新作の創作過程、YMO・川谷絵音・ヘンデル・ラッヘンマンなど最近の好みの音楽まで、様々な角度からお話をうかがいました!
取材・文:小室敬幸 (音楽ライター)
これまでも作曲家の一柳慧(神奈川芸術文化財団 芸術総監督)らによって、刺激的な企画が披露されてきた神奈川県民ホール。2021年に新しく始動したのが「C×(シー・バイ)」シリーズ*だ。
*Composer、Classic、Contemporaryという3つの「C」と、室内楽やオルガン、バロック音楽を自由な発想でクロス! 過去、現在、そして未来をひとつにつなげ、脈々と営まれる創造の世界を楽しんでいただくシリーズです。
既にC×Organ(オルガン・コンサート・シリーズ)は始まっているが、「C×(シー・バイ)」シリーズの本丸たる「C×C 作曲家が作曲家を訪ねる旅」は、2021年11月6日(土)が初公演。この重要な公演で白羽の矢が立てられたのが、現在54歳の山本裕之である。
愛知県立芸術大学の教授として後進の指導にあたりつつ、作曲家としてはここ十数年、「一つの線に様々なリズムやずれたピッチが施されることにより、焦点が曖昧になっていく手法」を追求。音楽学者であり音楽評論家でもある沼野雄司は、山本を「狭い狭い現代音楽の意味ありげな世界とはちょっと違う作品の提出の仕方をされている〔中略〕。業界の中じゃなくて、外に放射していく力をすごく感じる」と評す。
山本に課されたのは、新作を含む自作品と武満徹作品を組み合わせたコンサートを企画監修すること。今年が没後25年となる武満と向き合った山本は、どんな世界をみせてくれるのだろう?
|新作、そして作曲の過程について
――11月6日に初演される《横浜舞曲》が無事に完成されたとのことですが、手応えはいかがですか?
山本 最後は〔楽譜作成ソフトウェアの〕Finaleで浄書しているのでプレイバックはできますし、ある程度までは〔半音階よりも狭い音程である〕微分音も鳴らせるので、どういう風に音がぶつかって歪むのかの想像はできるんです。それでもやっぱり生で聴くと空間的な要素も加わってきたりしますし、実際のところ、音になってみないと分からないものなんですよ。
他の作曲の皆さんがどうなのかは分かんないですし、人それぞれだと思うんですけど、おそらくは頭の中でイメージできたものを楽譜に書くっていうことが一般的ですよね。でも私はイメージできたものを楽譜に書いてもしょうがないと考えているんです。
――それは何故なのでしょう?
山本 自分のイメージするもの以上が欲しいからですね。そのために最近は曲を書く際にまず、こういうコンセプトにしようと考えて、そのコンセプトを実現するためにはじゃあどういう方法、どういう作曲法があるのかっていうことを考えていくんです。その時点で結果はどうなるのか分からないままで。
つまりイメージから音を発想するのではなく、概念から音を発想する。こうやったら、こうなるんじゃないか? こうやったら、こうなるはずだ!……という抽象レベルで音を置いていった結果、実際に聴いてみるとどうなるのかっていうことに興味があるんですよ。結果的に出てきたものが、思っていたものと違っていてもそれは必ずしも悪いことではなくて。更に自分の期待以上のものが出てきたら、僕は成功だと思っているんです。
――新作の《横浜舞曲》を含む「舞曲シリーズ」の場合、まずは楽器の都合を考えずに音符を書いて、あとから変則的な編成の五重奏に当てはめていくというコンセプトでしたよね。
山本 エクリチュール〔和声や対位法を含む、作曲をする上で必要な書法〕だったらソプラノ、アルト、テノール、バスと、音域ごとに声部をわけて考えます。でも現場的な作曲では、そうではないわけです。特に舞曲シリーズでは、そこに変な楽器を当てはめて無理な動きをさせる場面もあるんだけど、それはやっぱりそのエクリチュール的な自然な流れの線、パレストリーナ的な歌いやすい線じゃなくて。むしろ歌いにくい線を意識的に取り入れるようにしています。
縦を見ると、和声というか音のぶつかる響きは連続しているんですよ。だけど、その中で各楽器が並行して動いていくかっていうと全くそんなことはなく、しょっちゅう入れ替わるんです。
――まさに、今お話しくださった各楽器に割り振っていく過程のスケッチを一部、Twitterにあげていらっしゃいましたね。
山本 楽器ごとに色分けをしているんですけど、そうしないと自分でも訳わからなくなってしまいます。あれを作っていてあらためて気付いたんですけど、対位法というか横の動きを強く意識してるんだな……って、まるで他人事のようですが。
――スケッチを楽器を決めずに書いた自分と、楽器を割り振るオーケストレーションをする自分とで、作業が分かれているからこそ客観的に気づくことがあるわけですよね。
山本 おっしゃる通りですね。
――失礼を承知でおうかがいしたいのですが、現代音楽のみならず前衛芸術を価値付けていた前提が共有されなくなってきた現代に、ポピュラリティから距離をおいた音楽を作る意義や意味について、山本さんはどのように考えていらっしゃいますか?
山本 難しい問題ですよね。現代音楽っていう言葉自体が古い言葉なので、確かに「何をやっているんだろう?」っていうのは日頃から思っています。だけど、これこそがまさに現代音楽の問題点だと思うんですけど、自分が聴きたい音楽を追求していったら結局こうなっちゃうよねっていう感じなんですよ。
それに今おっしゃったポピュラリティの問題はどの分野にでもあるんじゃないでしょうか。ネガティブなものとポジティブなものを評価する人達の割合が違うだけ。いわゆる現代音楽というものに対して、非常にそのポジティブに捉えて、良いイメージを持って積極的に聴く人って、数的には少ないですけども確かにいますし、海外にも日本にもいるわけですね。そういったリスナーがいる限り、私は喜んで書くんじゃないかなと思います。もちろん、私も現代音楽のリスナーであり、自分の音楽のリスナーのひとりですから。その中でできる限り面白い曲を書ければいいなという風に思っています。
|好んで聴く音楽から見えてくる価値観
――リスナーというお話しになりましたけど、山本さんがいち聴き手として自分の中で本当に面白いと思える音楽は他ジャンルにもあるのでしょうか?
山本 高校生の頃はもう、やたらとYMOを聴いていたんですよ。だけど、そこからテクノの歴史をさかのぼって色んなものを聴いていたわけでもなくて。例えばクラフトワークはいまいち好きになれないんです。音楽的な内容としてはYMOの方が高いだろうと、今も思っていますね。
あとは最近だと、やっぱりすごいなって思ったのはゲスの極み乙女。の川谷絵音ですね。ああいう才能の人たちが色んなジャンルに現れているっていうのを眺めているのは楽しいんですけど、そこに行って自分がそういう音楽を一緒にやりたいとは全然思わないんです。なのでこれは、もう完全にリスナー側としての視点なんですけど。
――いわゆるクラシック音楽のなかでは、どんなものを普段聴かれていますか?
山本 よく聴くのはバロック音楽ですね。特にヘンデルが好きで、あと最近は聴いていないけどヴィヴァルディとか、テレマンとか……要するに当時のエンターテインメントですよ。バッハみたいに深刻じゃなくて、ちょっと俗っぽい音楽。
はっきり言ってみんな同じような曲を書いているんです。でもその中で聴かせるレベルの高さは物凄い。要するにみんな同じシステムで書いてるわけですよね。和声というか調性の中で、同じような楽器編成で、同じような音楽のスタイルで、同じようなジャンルの中で、よくあれだけ質の高いものを量産できたなって。驚異的な時代だなと思いますよ。舌を巻きながら聴いています。
でも現代音楽だとそれができないじゃないですか? 編成とかスタイルとか色んなところでひとりひとりの個人様式を差別化しなきゃいけないですから、今は大変な時代です。
――いま挙げてくださった後期バロックの作曲家の作品を聴いて、具体的にはどのような部分で質の高さを判断されているのでしょう?
山本 和声っていうものが固まってきて、そして展開し始めたのがあの時代ですよね。だからロマン派に比べると当時は和音の種類も、転調の範囲も限られているんですけども、その中でどうやって和声構造の工夫をするかとか。どういう和音を組み合わせて、どういう劇的なドラマを作り出すかっていう手法が、さっき挙げたような作曲家とかは凄く上手い。そういう職人的な物に対する感動っていうのは常にあります。
――職人技、あるいはエクリチュールと言い換えてもいいかもしれませんが、そうしたものを大事にする姿勢というのは、ずっとお持ちなんですか?
山本 普段から職場〔愛知県立芸術大学〕で和声を教えてたりしていますし、自分の受験時代からそうした勉強は苦にならなかったですね。本当にあれが嫌だっていう人もいますけど、私は結構好きで、課題を沢山やるものだから口には出さないけど先生がうんざりしてたぐらい。
――それはよっぽどですね(笑)。じゃあ今度はもっと時代の近い、20世紀以降の作曲家でお好きな作曲家はどのあたりになるのでしょう?
山本 うーん……例えば若い頃の一時期、ラッヘンマンが割と好きで、そのような真似事をしてたこともあるんですけども、今も面白いなって思うのはケージの1940年代かなあ。偶然性とか不確定性に入る前、その序奏みたいな時期ですね。
――プリペアド・ピアノ〔楽譜に指定された異物を弦に挟んだピアノ〕の作品を集中的に書いていたりする時代ですよね。
山本 そうです。その頃、ケージはダンスのために音楽を書いていたりしていたので、時間の尺とか色んな制約があったわけです。その中でどうやって時間構造を作ったのか?そうして出てきた結果がこれなのか?っていうのが結構面白いなと思うんです。あとはプーランクとか、プロコフィエフとかに興味はあるんですけど、逆にバルトークは苦手なんですよ。なんでなのかは自分でも分かんないですけど、おそらく音の趣味の問題なんじゃないかと。
|武満の再解釈、若い世代によって更新されるもの
――今回の演奏会で、山本さんの作品と並べてプログラミングされた武満徹も、山本さんにとっては遠い存在なんですよね。
山本 武満はその瞬間瞬間の音がどう響くかっていうことを私よりも重要視していると思いますし、だから言い換えると私の音楽の音の響きって武満に比べたら単純なような気がするんです。瞬間を切り取っても大体いつも同じ音程で組み合わされていますし……。
でも、それをどういうふうに動かすのか? 例えば、それを早く動かすのか、それを組み合わせるのか……。そしてそれを横にどう繋げて、そこにどう楽器を絡ませるかっていうのが、私の方向性なんです。だから武満ほど、こう組み合わせたら、こういう響きがする……みたいなことに、こだわっていないかもしれません。
――もちろん、武満が1980年前後に書いた《雨の呪文》(1982)や《カトレーンⅡ》(1977)まで来ると、完全に山本さんとは全く違う道を歩んでいるっていうことがすごく分かるんですけど、でもそれ以前に書かれた《サクリファイス》(1962)や《スタンザII》(1971)では点描的なウェーベルンの延長線上にある音楽として聴けますし、意外に山本さんの作品と遠くないところにあるんじゃないかなとも思うのですが……。
山本 どうでしょうね。ただ武満はウェーベルンの影響が凄く強いですよね。12音技法を極める方向にはいかなかったけど、断片を精査して極限まで切り詰めて、それをどう積み重ねていくのか……っていう作曲の仕方は、12音技法ではなくてもあの時代の特徴のひとつなのかな。武満はそれを踏襲しているんだと思います。
それと同時に、ウェーベルンの後継者となったトータルセリー(総音列技法)の作曲家たちと違う音を作ったのは、もちろん感覚的な音を選んでいたからっていうのもありますけれど、やっぱり音の断片をどういうニュアンス、どういう手触り感っていうのかな? なんかそういう音の扱い方が他の作曲家と違うような気がするんですよね。彼の趣味や探求心が反映された結果、ああいう響きとか音の連なりになっているんだろうなと。そういう意味ではとてもパーソナルな音楽なんだと思います。
――今回の公演では、武満の音楽に出会ったのが武満の没後であろう20〜30代の演奏家が非常に多いというのが特徴的ですよね。近年、武満の管弦楽作品では山田和樹やパーヴォ・ヤルヴィらによって、生前の武満と交流のあった指揮者とは異なる解釈を聴かせて話題となっていたりしますけど、そういう経験を山本さんはされたことありますか?
山本 そういう若い方と自作なり何なりっていうものを一緒にお仕事するっていう機会は今までなかったですね。だから、今回すごく楽しみなんです。まずは、おっしゃるように武満をどういう風に演奏するのかっていうことに興味があって。
僕はいま54歳なんですけど、武満はリアルで会ったことがある人ですし、僕ぐらいの世代にとっては武満が亡くなって「もう25年なの?」っていうのが正直なところなんです。でも20代後半の人からすれば、生まれた時期と武満が亡くなった時期がほぼ一緒ぐらいですよね。だから武満に対する感覚が全然違うと思うんですよ。彼らにとっては歴史上の人物ですもんね。
――山本さんからすると、武満でまず思い浮かべるのはどのぐらいの時期ですか?
山本 我々の世代が聴いてきた武満っていえば〔武満の前衛時代の総決算に位置づけられる〕《アーク(弧)》(1963〜76)とか、そういったようなサウンドがまず頭に浮かびます。だけど若い人たちならそこから容易に離れることが出来るだろうから、場合によっては武満自身が好んだサウンドを一回分解するぐらいのやり方でちょっと組み立て直してくれないかな?そうすると全然違った響きになるんじゃないかな? 武満が生きていたら怒るかもしれないけどももうそろそろ色んなやり方がたくさん出てきてもいいんじゃないかな?……と思っているので、どういう風に武満を再解釈できるのか楽しみにしています。
自分の作品についていえば、実は僕のパートナーがユーフォニアム奏者で、彼女からよく聞くんですよ。今の若い人はもう格段に演奏レベルが違うらしいって。前の世代ではそんなのできないと思われていた凄く高い音を誰かが出せるようになっちゃうと、みんなそのイメージを持てるので下の世代ではみんな出来るようになっちゃう。そういった進化の最先端にいる今の若い世代は、経験こそ少ないかもしれないけど、技術とか才能とかアイデアとか、我々の世代とは絶対違う何かを持ってるはず。それが自分の作品にどう反映されるのかが楽しみですねえ。
|現代音楽の展望はない!
――演奏家によって新たな可能性が広がっていくという話になりましたけど、いわゆる現代音楽という分野そのものが今後どうなっていくかという展望はありますか?
山本 ないですね、何も見えません。今から20年前……つまり世紀が変わった2001年の段階で2021年にどういう若い人が出てきて、どういう音楽が生まれてくるかなんて全く想像できなかったわけですよ。今から振り返れば、これがこういう影響あって、こういう風になったんだとか、結果論的には言えるんですけど。そもそも、それが予見できていたとしたらつまらないですよ。
――山本さんは作曲のスタンスでも、頭にイメージ出来ないことを生み出そうとしているぐらいですから、そう思われるわけですね。
山本 それに音楽を音楽の中だけで考えても限界があるんです。例えばこの間、川上〔統〕さんが自分の音楽はポップス的だっていうような話をしていましたけど、そういうような傾向って、若い作曲家では割と普通にありますよね。
でも、それって音楽だけでそういう風になったとはいえなくて、インターネットが発達したとか、他の音楽のジャンルがこういう動向だったとか、あるいはもっと大袈裟にいえば世界の政治情勢とか、そういった社会的な背景が複雑に絡んでくるわけですよ。だからそういったものを総合して考えても、結果がどうなるかはやっぱり分からないですよ。でも何かが変わっていることだけは明らかですから、出来るだけ長く息をしてそれを聴きたいなと思いますね。
――今この瞬間にベストだと思うものを書き続けるしかないわけですね……。
山本 人それぞれ書く内容も、書くスタイルも、何に興味を持っているかっていうことも分散化していて、そういったようなものが「蜘蛛の巣」のように音楽とか芸術の中に張り巡らされているように思います。縦断的にそれぞれの道を進みつつ、横糸もあるので互いに影響し合うっていう、そういう感じがより進んでいくのかなっていう気がします。
――山本さんは愛知県立芸術大学で教えていらっしゃるわけですが、作曲を学ぶ最近の若い学生さんに特徴的な傾向はありますか?
山本 それは明確にありますね、やっぱり。どこでも言われてることですけど、やっぱりインターネットからの影響は強いですね。音楽もアーティストも、どのように世に出ていくかはネットにとても依存していますよね。YouTubeとかで自分で色々発表してた人たちが、どこかで発見されてすごくブレイクする……みたいな。そういうことを必ずしも彼らは目指しているわけではないんだけども、そういう流れをすごくよく知ってるわけです。
テクノロジーと絶対に切り離せない世界なので、ネットワークとテクノロジーの技術の恩恵を受けながら、逆にそういったようなイメージの中で自分をはめ込んでいくような作り方になっていると思うんですよ。でもそれは今に始まったことじゃないのかもしれない。
――と言いますと?
山本 例えば、さっき僕はYMOって言いましたけども、そこらへんから〔機械上で構成した演奏データを再生する〕シーケンサーとか、色んなその機械に頼って演奏が実現されることが普通になってきましたよね。だから機械で演奏した音楽が生身の演奏家に影響を与えたりすることは、おそらく僕の時代から始まっていたんだと思うんです。
けれど現在は、そこにインターネットが複雑に絡んできて、若い人により強い影響を与えていますよね。また同時に、先ほど「蜘蛛の巣」の喩えをしましたけど、自分の蜘蛛の巣以外のものにまであまり目が届かなくなっている。世界が広すぎるのもあるし、ネットというものがすごく取捨選択しやすい情報なのだと思います。それゆえに自分の世界、あるいは仲間同士の価値観に入り込んでしまう傾向もあるんですよ。ちょっとそれはどうなのかなっていうようなことを感じることはありますけども、でもそれも含めて面白いなとは思っています。
……とはいえ現代音楽自体がそうだと言われたら、それまでなんですが……。
――だからこそ異なる価値観をもった作曲家が、これまでとは違った形で組み合わされるC×C(シー・バイ・シー)のような企画が、重要な意味をもつような気がします。
山本 既に亡くなっている作曲家にとって、それはもう既に知ったことじゃないのかもしれないけど、いま生きてる作曲家が過去の作曲家をどういう風に捉えるのかっていう観点に特化したコンサートは、ありそうであんまりなかったように思います。ご来場くださるリスナーの方にとってもですけど、私自身それがどのように見えるのか? この新しい企画のトップバッターになってしまったので、ちょっと楽しみなんです。
演奏家も豪華なメンバーだし、純粋にコンサートとしても楽しみですけど、やっぱり作曲家としてどういう音が聞けるのか?……とか、あのプログラムの文脈だとそれぞれの曲はどういう風に聞こえるのか?……っていうことが未知の領域なので、そういう意味で僕もリスナーのひとりとして、この公演がとても楽しみですね。
●公演概要
C×C (シー・バイ・シー) 作曲家が作曲家を訪ねる旅 山本裕之×武満徹
2021年11月6日(土)15:00開演 小ホール
プログラム
山本裕之:紐育舞曲 ヴァイオリン、ピッコロ、バス・クラリネット、フリューゲルホルンとピアノ**のための
武満徹:雨の呪文 フルート、クラリネット、ハープ、ピアノ**とヴィブラフォンのための
山本裕之:輪郭主義II 事前録音されたヴィブラフォンとピアノ*のための 加藤訓子(ヴィブラフォン)
武満徹:スタンザII ハープとテープのための
武満徹:サクリファイス アルト・フルート、リュートとヴィブラフォンのための
山本裕之:輪郭主義IV フルート、ヴァイオリンとピアノ**のための
武満徹:カトレーンII クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノ*のための
山本裕之:横浜舞曲(神奈川県民ホール委嘱作品・初演) クラリネット、ハープ、ヴィブラフォン、ギターとチェロのための
出演
石上 真由子(ヴァイオリン)
山澤 慧(チェロ)
丁 仁愛(フルート)
岩瀬 龍太(クラリネット)
佐藤 秀徳(フリューゲルホルン)
高野 麗音(ハープ)
大場 章裕(打楽器)
土橋 庸人(リュート&ギター)
中村 和枝(ピアノ)
大瀧 拓哉(ピアノ)
有馬 純寿(エレクトロニクス)
チケット料金
全席指定 一般¥4,000 学生(24歳以下・枚数限定)¥2,000
セット券(本公演&1/8「川上統×サン=サーンス」)¥7,000